下田町内から大浦へ抜けるときにある、いかにも山を切り崩して開通したような道路。下記マップの黄色い線で引いてあるところです。その工事に伴ってできた坂下町(マップの赤い丸のあたり)これができた話についてまとめます!

いつ頃なぜ工事が行われたか

大浦へと続くこの道は、寛文4年(1664年)に完成しました。当時の下田奉行3代目、石野八兵衛が下田市街地から大浦御番所へ行くには山越えしないといけない不便さを解消するために工事が行われました。当時、入港する船からお金(銀?)を徴収して行ったそうです。

この工事のときに出た土砂によってできたのが坂下町です。隣町の七軒町も同時にできたのか、以前からあったのかについてはわかっていない。以前からあったにせよ、この工事によって七軒町の街並みが変わったことは想像できます。

工事残金による町内水道埋設

「出船入船三千艘」という下田港への入船は大量の徴収金をもたらしたため、大浦の切通工事を行っても残金がありました。それを使って、下田奉行4代目の今村伝三郎は寛文8年(1668年)に町内に水道を地下に埋設しました。

水道は中嶋口から取水して、新田町、殿小路超、長屋町、中原町、原町、大工町と続いていたようです。

その後、天和3年(1683年)に下田奉行6代目が、下田は井戸が整っているとして、埋設された木樋を掘り出し、町々の辻(十字路、交差点)に木戸を作って街並み整備を行いました。

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