黒船祭(くろふねさい)、1854年にアメリカのペリー提督が黒船に乗って来日したことで,開国の舞台となり開港に尽くしたことを称えて,1934年から年一回5月中旬に開催されている下田の一大イベント!

毎年たくさんの参加者で賑わいあふれる下田で最大のイベントです。

黒船祭の歴史

1989年に黒船祭50回を記念して製作された、黒船祭50回記念誌「黒船祭」を主に参考にしています。1989年の本なので30年前までの情報に留まりますが、これより黒船祭についてまとまっている本はないと思います。幕末からこれまで開催された黒船祭まで、非常にたくさんの写真が載っているので一見の価値あり!下田の図書館に数冊置いてあります。

第一回は昭和9年(1934年)!1854年に黒船が来航して開港した80周年を記念して盛大に行われました。下田開港の偉業と功績を記念して、世界平和と国際親善に寄与するために行われています。途中、昭和16年から21年の6年間は太平洋戦争のために中断しましたが、その後は毎年のように開催されています。明治41年10月31日には、黒船祭の前身となる米国水兵5名と露国水兵3名の慰霊祭が行われています。

第一回ではグルー駐日米国大使ご夫妻が参加し、その後の黒船祭でも多くの米国大使が参加しています。特に、マンスフィールド大使は9回も参加しており、下田市民特別名誉市民となっています。

開港史

※この開港史の日付は太陰太陽暦(天保暦、旧暦) グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を改めて明治6年1月1日とすることなどを定めた。つまり、現在の月日に直すと約1カ月ほど後になる。例えば下田開港の3月3日は現在の3月31日。

ペリー

弘化3年1846年5月7日米国提督ビッドルが軍艦二隻を率いて浦賀に来る(詳細
嘉永2年1849年4月10日英艦マリーナ号が下田に入港、海辺一帯の測量を強行する
嘉永6年1853年6月3日ペリーが浦賀に来航、開国を求める
嘉永7年1854年2月25日米艦2隻が下田港を事前調査
3月3日下田開港。横浜で日米和親条約が調印され、下田、箱館が開港される。
3月18日この日より、ペリー艦隊が順次下田に入港する
。ペリー提督の乗船するミシシッピは3月21日に入港。
3月24日ペリーが了仙寺において、支配組頭黒川嘉兵衛の供応を受ける
3月25日下田奉行が設置される。米国艦隊員が多く上陸する。
3月27日吉田松陰・金子重輔が米艦に渡米を要求するが、拒否される。翌日、拘禁。
5月13日ペリーが上陸し、了仙寺において日本全権(国際会議等で条約に署名調印をする権限を付与された者)と接見
5月22日下田条約妥結(話し合いがまとまって、条約や契約などを結ぶこと)
6月1日ポーハタン号、ミシシッピ号、下田を出発して琉球に向かう。マセドニアン号、サプライ号は強風のため、翌日出港。

プチャーチン

嘉永7年1854年10月15日露国提督プチャーチンがディアナ号に搭乗して下田に入港
10月21日~23日プチャーチンは交渉場所をディアナ号と主張するが、妥協して福泉寺となる。
10月29日了仙寺をロシア委員の休憩所とする
11月1日福泉寺において日露交渉委員が交歓する
11月2日ディアナ号上で日露和親条約交渉第一回の会談が行われる
11月4日大地震津波が襲来して、下田町は壊滅状態となりディアナ号も大破する。
11月7日~23日玉泉寺で日露予備交渉が行われる
11月8日~9日ディアナ号の大砲を弁天島に陸揚げ、その後長楽寺山門下に格納(このときの大砲52門は後に日本政府に寄贈され、全国各地に展示されている)
11月24日ディアナ号は応急修理をして、修理のために戸田へ向けて出港
安政元年12月2日ディアナ号、戸田への航海中に沈没
12月14日長楽寺で日露交渉が始まる
12月21日長楽寺で日露和親条約が調印される。この日が源氏の北方領土の日(2月7日)である。
安政2年1855年2月9日新造スクーナー、ヘダ号にプチャーチン他40名が乗船し、出港(他の乗組員は既に別の船で出港)

ハリス着任

安政3年1856年7月21日ハリスを乗せたサンジャンシント号が下田に入港。(乗組員254名)
7月25日ハリス、ヒュースケン、艦長ら10名が上陸
8月5日ハリスが玉泉寺に入る
8月6日玉泉寺に日本最初の米国領事旗が上げられる
安政4年1857年5月26日ハリス、下田条約9か条を締結
10月7日ハリスが天城越えで江戸へ向かう
安政5年1858年1月12日日米通商条約妥結
6月17日ハリス、ポーハタン号に同乗して神奈川へ向かう
6月19日ポーハタン号上で、日米修好通商条約調印
12月ハリスは公使に昇進する
安政6年1859年5月2日玉泉寺の米領事館閉鎖
6月8日ハリスは江戸に入り、麻布の善福寺を仮公使館とする
12月8日下田港閉鎖

黒船祭前史

※これ以降は現在のグレゴリオ暦と同じ

1908年明治41年10月21日吉田松陰50年祭が下田八幡神社で行われる
10月31日 開港50年記念として、玉泉寺に葬られた米国海軍軍医官ジェームス・ハミルトン以下5名と露国ディアナ号乗員3名の慰霊の奉告祭が玉泉寺で行われる。
1925年 大正14年4月16日開港70周年 バンクロフト米国大使がハリスの遺跡をたずねて、下田港を訪問。歓迎会、花火大会、提灯行列が行われる。
1927年 昭和2年 10月1日 玉泉寺で、ハリス上陸記念碑の除幕式が行われる。マクベー米国大使をはじめ、たくさんの来賓があった。

第1回黒船祭開催

昭和初期の金融危機、世界恐慌の中、下田でも経済不況が起こっていた。その中で、美しい自然や豊富な温泉、幕末開港の歴史などを観光の資源として活用しようという方向で不況脱却を目指していた。雑誌「黒船」や「唐人お吉」、「伊豆の踊子」などにより全国的に下田の名が知られていき、下田観光ブームの火付け役となった。その流れで、森義男を中心に昭和9年4月20日~5月3日に開催されたのが第一回黒船祭である。米国大使グルー夫妻を迎えての式典や歓迎祝宴をはじめ、数多くの催し物の中で町は観光祭りに賑わい、戦前の下田が生んだ傑作ともいうべき祭典である。

黒船祭の紹介

概要動画

祭りの概要はこれらの動画が良さげ

主なイベント

黒船将兵墓前祭

玉泉寺で行われる、米海軍主催の墓前祭。黒船祭初日に行われる

海上花火大会

下田港全体を会場として行われる盛大な花火大会

記念式典

公式パレード

再現劇「下田条約調印」

了仙寺で開催される調印式を再現した劇

にぎわいコンサート・にぎわいパレード

開国市

商店街で開催される開国市。たくさんのイベントや屋台がでる!

公式リンク

2021年度の開国市プログラム※コロナのため中止

(参考)https://www.shimoda-city.info/event/kurofune.html

ネット上で見つかる過去の記録

ネット上にある記録をまとめてみました.2000年台後半からかなーって思ってたら90年台の記録も残っててびっくり!すごい!

2010年くらいからたくさん引っ掛かるので、適当です(/・ω・)/

1947年

第8回黒船祭、昭和22年7月6,7日開催

1940年の第7回黒船祭以降、戦時中で中断されていましたが、戦後に再開した初の黒船祭です!その動画がYouTubeに上がっていました。

1997年

1998年

1999年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2008年

2009年

2010年

2011年

2011年 5月20日(金) 21日(土) 22日(日)第72回黒船祭開催予定→中止

同年3月に発生した東日本大震災の影響に加え、例年黒船祭に参加協力している米海軍自衛隊が東日本大震災の救援活動に専念していることに鑑み、中止。代わりに市民有志により同年5月21日・22日に「東日本大震災復興支援チャリティー下田元気祭」と称したチャリティーイベントが開催された。(wikipedia)

2012年

2013年

https://fb.watch/484ZRuJo4r/

2014年

2015年

2016年

2017年

https://fb.watch/484WRFPiDC/

2018年

2019年

2020年

2020年 5月17日(金) 18日(土) 19日(日)第81回黒船祭開催予定→中止

2020年(令和2年)に予定されていた第81回は、2019新型コロナウイルス蔓延の影響により中止。(Wikipedia)

あと、市長と市民の間で黒船祭について揉め事があった(wikipedia参照

2021年

2021年5月15,16日に規模縮小で開催予定!開国市も開かれる予定とのこと!

楽しみ!(^^)!

開催中止になりました(´・ω・`)

番外

  • 思い出の黒船祭(伊豆レインボーコム)
    • 平成7年に伊豆新聞に掲載された、下田育ち下田在住の”横山郁代さん”の思い出の黒船祭について掲載されています.
    • 1955年から1995年にかけて、思い出に残る黒船祭の話がまとめられています.

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